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メイド・イン・ジャパンのキリスト教

日本にはミッションスクールがそこそこの数あります。親族知人にも出身者がいます。それに比べて、クリスチャンの数は少ないように思います。なぜなのか年来不思議に思って来ました。
毎日新聞の書評を見て、この本を読みました。
メイド・イン・ジャパンのキリスト教 マーク・R・マリンズ著 高橋恵訳 出版トランスビュー
なかなか分厚い本で、難解というのではないのですが、読むのにそれなりに骨が折れました。
19世紀後半以降、ローマ・カトリック、プロテスタント諸教会等、キリスト教は多大な努力を払って日本をキリスト教化しようとしてきた。しかし、キリスト教徒はいまだに、日本の総人口の約一%を占めるにすぎない。アフリカやラテン・アメリカ、韓国に比べて「失敗例」言われる。キリスト教の何が、あるいは日本の社会と文化の何が、キリスト教移植を阻むのか。ある文化から別の文化へと世界宗教を移植するとき、いったい何が起こるのだろうか
大部の中で、わたしの興味はこの点に尽きます。
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そして、その 解答
外部からもちこまれた宗教の受容を左右する基本的な条件は、受け入れ側の集団とその他の集団との関係の質の中にある。脅威と認知されていないところから宗教がもちこまれる場合、新宗教の受容には有利な条件が成立する。たとえば、新宗教の出所以外のところから支配や脅威がやってくるとと認知された場合、新宗教は、社会を存続させる上で貢献度の高い集団や個人のアイデンティティを確立する、ひとつの手段とみなされることがある。
逆に新宗教をもちこんだ集団が,社会の存続や社会を特徴づけるアイデンティティを脅かすと認められた場合には、新宗教への抵抗を促進する条件が形成される。
この分析は、ある社会の少数部族や少数民族が、キリスト京の受け皿となっていることを説明するのみならず、韓日でみられるキリスト教に対する反応の相違の説明として有用である。韓国のプロテスタント宣教師は非政治的で個人の救済と信仰を強調していたのだが、大勢の韓国人は、キリスト教が日本政府にたいする「対抗イデオロギー」をももたらしていることに気がついた。その結果、大勢のキリスト教徒が独立運動に深くかかわり、数限りない方法で日本政府への協力を拒絶した。困苦を極めたこの時代を通じ、韓国人にとってキリスト教を肯定することは、植民地支配を行う日本人の文化に抗って、民族アイデンティティを主張する方途となった。
日本の場合、キリスト教の出所が自国の自治に対する最大の脅威の出所でもあったため、「認知」の変容は起こらなかった。戦後もこの外観は、実質的には転換していない。キリスト教は、たんに敵国宗教から占領政府の宗教に転じただけである。

長~い引用になりました。もともとに加えますますアホが進んでいます。右を向くと左を向いていた時、考えていたことを忘れます。書くと少しでも頭に残るかと思い、やっているわけです。
解答は、なるほど、と思いました。これは直感でそうかな・と予想されることですね。
著者は学者ですから、直感で思ったことを詳細に論証していかなければなりません。でも、一般人はそれに付き合うのはしんどいです。
この話、小説じたてにする人はでてこないでしょうか? 結構おもしろいと思うのですが。 小説とかは「うだうだ何言ってるの」とかが多いように感じます。でも、それでなければ表現がむつかしい、伝わりにくいというものもあります。文学の価値はそういいうところにあると思います。

by mamineko110 | 2005-08-22 23:01 | 読書